アドラー心理学を全体的に俯瞰して
アドラー心理学は、オーストリアの精神科医であるアル
フレッド・アドラーが、フロイトとの決別後に独自に発展させた心理学のことで
す。
個人心理学(Individual
Psychology)というのが正式名称です。アドラー心理学と個人の名前が心理学の名称に使われているところは、まだ科学として未成熟だとも批評され
ていますが、アドラー本人は個人心理学と呼んでいました。
確かに、現代の個人心理学は、アドラーの意図と離れて未成熟という側面はあるかもしれません。日本では、現在 個人心理学(アドラー心理学)の統一された
学会 社会的に認知された学会が存在しない状態が長く続いています。(日本アドラー心理学会という名称の団体はありますが………。)
しかし、作者個人としては、非常に魅力を感じている理論・思想体系です。
まあ、欧米にあるアドラー心理学関係の多量の文献や書籍がたくさん翻訳されて、日本に紹介されることで、20年後くらいにはなんとか社会的に認知された個
人心理学の学会が成立しないかなと思っています。
アドラー心理学では
○人間(個人)を分割できない全体としてとらえ、意識や無意識の葛藤は表面上のものに過ぎない、実はアクセルやブレーキとして働いているだけで、全体とし
ては統一されていると考えます。(全体論)
○人間は目的的な存在であって、人間の行動の目的を探ることによってその人間を理解できると考えます。(目的論)
○人間は純粋客観的な事実を知ること不可能であり、自己のユニークな認知システムを通した主観的認知しか知り得ない。だから、その人間の主観的認知がどの
ようなものであるかを知ることが重要だと考えます。(現象学=認知論)
○人間は社会的な存在であって、個人と周囲の人間の関係にこそ「心の問題」は存在すると考えます。(対人関係論)
アドラー心理学は科学ではなく、思想と理論と援助技法のミックスされたものであると主張する人たちがいます。
たとえば、
○人間には「共同体感覚」という、周囲の人や社会と協力していこうという感覚のコアがあり、それを発達させて周囲と協力して、貢献感を感じていくことで
人間はより幸福に生きていくことができる。
○共同体感覚を発達させて、「自分が好きで」「他人も信頼できて」「社会に貢献できる」と人は幸せになれる。
という基本的なコンセプトがありますが、これは科学と言うよりも、哲学、思想と言った方が良いかもしれません。
クライエントを援助するときには
○基本的に 現在のクライエントの方法とは違う代替案(バイパス)の提案をします。
※これを、アドラーは「患者の目の前のスープにつばを吐く。」と表現し
ました。
つまり、今の不幸に至る行動パターンとは違った 幸せにいたる行動パターンをするように援助するわけです。
これが、アドラー心理学は指示的なカウンセリングと呼ばれる所以ですが、
もちろん、他派と同じく、代替案を受け入れてもらうために
○ラポールを築いたり
○カウンセリングの目標を一致させたり
○話し合っている問題が誰の問題であるのかをはっきりさせたり(問題の分離、課題の分離)
と様々な手段を講じます。さらには問題の解決に様々な技法を援用します。
「現代アドラー心理学」には、「現代のアドレリアンは、様々な他派の技法も使う。」と書いてありますから、忌諱される技法はほとんどありません。
アドラー
心理学はその思想(共同体感覚の希求)と理論(全体論・目的論)に特徴があり、技法の限定はしていないのです。
☆アドラー心理学は決してフロイトの精神分析学の亜流ではありません。(「無意識の発見」でもエレン・ベルガーがそのように解説しています。)
アドラーがフロイトの作った精神分析学会の会長であっ
たことは事実ですが、アドラーはフロイトに対抗して理論的にはフロイトのほとんど正反対を主張しました。
アドラー心理学はフロイト精神分析の亜流どころか フロイト精神分析のアンティテーゼなのです。
個人心理学(アドラー心理学)は ネオフロイト学派や家族療法、第三潮流の先駆け的な心理学理論であり、それを超えるメタ心理学であるかもしれません。
最近の北米アドラー心理学会の会誌を読むと、スピリチュアルタスクについて盛んな論がされています。アドラー心理学は人間のスピリチュアルな側面も包含す
る心理学への変貌しつつあります。