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他人からどう思われているかが気になって気になってびく びくしていた。 他人のちょっとした反応 が気になって、眠れなくて、アルコールを大量に消費して寝ていた。 飲まないと眠れなかった。
なぜか他人との約束や大事な仕事を忘れたり引き伸ばした りして、信用を無くしていた。自分でなぜ忘れるか、なぜ引き延ばすかわからなかった。そして、罪悪感でまた眠れなくなって。
自分の問題に直面するのが恐くて、お金を湯水のように 使ってサラ金にまで借りて首がまわらなくなった。
家庭のことは絶対の秘密だった。父親が酒乱で家中みんな
びくびくしているなんて口が裂けても他人には言えなかった。
初めて言ったのは29歳になってから、現在の妻に。それ も結婚してからやっと。妻からは「だましたわね。」と言われた。
僕の生きてきた状況は当時の僕にとって見れば、八方塞の 行き止まりだった。とても良いほうに向かうとは思われなかった。
でも転機はやってきた。いや、僕が転機を作った!
TA心理学との出会い
きっかけは30歳の頃、あ
るTAセラピストのワークを見たこと。
「あ、人生の方向は変えることができるんだ。」と気づいた。ただ、交流分析の他人との交流の仕方は学習したが、自分の問題に直面するのは恐かった。ワーク
の中で他の人が自分の問題をさらけ出しているのを見て怖かった。
アドラー心理学
その後、アドラー心理学に出会った。しかし、アドラー心理学もクラス運営にしか応用しなかっ
た。
子どもができて、父と母と同居した。父が定期的にいちゃもんをつけて暴れた。耐えられなくなって、TA セラピストに相談した。そしたら、すぐ解決した。何のことはない、別居すれば良かったのだ。
こう言えば簡単だが、当時の僕はそれこそ断崖絶壁に立ったような気分だった。それにしても、問題が一発 で解決して「カウンセリング」の持つすごい力に驚嘆した。
それから、カウンセラーになりたくて、相当勉強した。
その後い
ろんな人と出会いながら勉強した。アドラー心理学の人間理解というか、行き方というか、哲学というか それがどうにも好きで好きでたまらない。
しばらく
はTA心理学の諸技法を使っていたが、今ではアド
ラー心理学の技法の方が永続的な効果があることが分かってきた。
やはり、
全体論的理解、自己決定性の認識が大きいのだ。「分かっちゃいるけどやめられな
い。」という状態は存在しないのである。全て自分でやっているのである。この自己責任認識が大きな力になる。TAの諸技法やNLPの諸技法はその状態に流
れていただくきっかけに過ぎない。最後に自己決定によって行動化することが大事なのだ。。
勇気づけの
会で仲間たちと学習会を続けている。
2007年
4月に念願叶って独立!
アドラー心
理学の幸せの条件
@ 自分が好きであること
A 他者を信頼していること
B 社会への貢献感を実感していること
を自分
自身が具体的に達成していく道なりに、多くの人の幸せや成功も援助させていただこうと思っています。ひろなかは、アドラー心理学の理論的な背景以外にも
TA(交流分析)の諸技法、催眠、カラーセラピー、NLPの諸技法、ボディーセラピー、認知療法、論理療法など様々な技法を習得しています。
また、
NLPを下敷きにしたNLPコーチングも大得意です。
○今、精神
的に、人間関係で苦しんでいる方……私が苦しみから脱出した方法を余すことなく伝授いたします。特に出身家庭が機能不全家庭でそのトラウマ的な記憶が残っ
て苦しんでらっしゃる方、必ず幸せになる道があります。
○目標、願
望を達成したい方……アドラー心理学による目標・願望の整理、そして、NLPによる目標達成の方法は、あっと驚くほどの効果があります。叶わない目標、願
望はあり得ません。
○具体的な
行動計画を立てたい方……いろんなアイディアを提供します。いつのまにか整理されて実行可能な計画になります。
しかし、今ではそんなおためごかしの「愛の鞭」が身の毛もよだつほど嫌いだ。本当に正しいことなら、暴力な
んか振るわなくても理解できるはずだからだ。
暴力教師だった
中学校や高校のときは教師から暴力を振るわれて「ありがたく思った」ことがあった。それで、新任の教師のころはベテランの教師の「打ってでも正しいことを
教えなくてはいけない。」という言葉をマインドコントロールとして受けいれて、生徒に暴力を振るった。あのころの生徒にはどれだけ懺悔してもしきれない。
体罰
「体罰」と言う言葉は嫌いだ。暴力は暴
力に過ぎない。ましてや、学校の教師が無抵抗の生徒を殴ったり蹴ったりするのはもっとも恥ずべき暴力だ。「罰」だなんてとんでもない。教師の思い上がりも
はなはだしい。
「親なら子どもに暴力を振るっても良い。」と信じている人もなんと多いことか。子どもは親とまったく違う一
人の人格だ。親であろうと尊厳さるべき一人の人間に暴力を振るうなど許されることではない。
社会の暴力肯定
教師の暴力、親の暴力、このような「正当化された暴
力」が一つの教育力となって、「正義の暴力」を助長しているように思う。そしてこの「正義の暴力」が戦争につながると僕は考えている。正義
の暴力でない戦争は一つもないのだから。戦争のない正義の暴力のまったくない文化をつくりあげよう。それには、教師の暴力を見逃さず許さないこと。親の暴
力が間違っていることを訴えていくこと。そう思っている今日このごろである。