これは「アドラー 勇気づけの会」で仲間たちと話しているうちに,お互いのあまりの類似点に驚き僕が気づいたものです。
「親から持たされた」という表現は意識して避けています。あらゆる考え方・認識は誰かから持たされるものではなくて、その個人が主体的に獲得したものだからです。
主体的に獲得したものですから、主体的に捨て去ることもできます。ここに「子どもを操作する親」の下で育った我々に救いがあります。
我々は子どもの頃に獲得した不幸になる考え方を捨てて、楽に生きる考え方・幸福になる考え方やうまく人と交流できるやり方を学び、獲得することによって、不幸な過去の遺産を逆に幸福な現在に変えることができるのです。
その意味ではより理不尽な親を持った人のほうが、より幸福なのかもしれません。あまりにも物分かりのいい親の下で育った人には幸福が実感できないかもしれないからです。
親はだから俺の恩を忘れるなというメッセージを伝えるために話すことが多いようです。
僕の親は僕が子どもを持った後にも「子どもを育てるのは大変だ。」とくり返し話していました。子育てのために自分がいろんな事を我慢してきたとも言っていました。
そして、共働きの僕たちの代わりに僕たちの娘を面倒見てくれたのですが、ことある毎にその事も恩に着せてきました。(母の名誉のために言っておきますが、僕の娘の面倒を見てくれたのは母です。母はまったく恩に着せませんでした。)で、僕も子育てというのはたいへんで苦しい作業なんだという漠然とした認識がありました。
確かに、子育ては悩むことが多いのです。
しかし、それは具体的には自分の親の子育て法しか知らないということに起因するようです。自分が育てられた方法です。「親のやり方だけは真似したくない。」という思いがありますから、否定するだけで代替案がなくて困ってしまうのです。
僕はアドラー心理学に基づく子育て法「スマイル」の講座を受けて救われました。「スマイル」は子どもを誉めたり罰したりすること(つまりサーカスの動物を育てるような飴と鞭の教育法)なしに、子どもと「相互信頼・相互尊敬」の関係をつくって、しかもその子どもに最上の協力ができる親としての方法を教えてくれました。
僕がスマイルを習ってから、娘は家族会議が大好きで、自分の好きなことに熱中できる、気が向いた時には進んで協力してくれる(気が向かないときにはいやだと言う)、マイペースの娘になりました。親として悩むことはほとんどなくなりました。
そうすると子供と接するのが楽しくて仕方がなくなるのです。「子を持って初めて知る親の恩」と言うのは嘘ですね。僕は「子を持って初めて知る子の恩」でした。
上の子は今5歳、下の子は1歳9ヶ月なのですが、かわいくてかわいくてしかたありません。この子達と接することでたくさんの喜びと楽しみを感じています。「ああ、うちの親は僕や妹がいたことでこんなにも喜びや楽しみを感じていたんだな。」というのがとよく分かりました。
日本という社会の持っている常識でもあるようです。僕の場合、「自分は高校までしか行かせてもらわなかったが、お前は大学まで行かせてやった。」と聞かされたので、「そりゃ、不公平だ。お父さんは親にしてもらわなかったことを僕にはしてくれたんだから,何かお返しをしなくちゃいけない。」と考えてしまいました。
今はそんなこと考えていません。親に恩を返す必要はありません。
仲良くできるんであれば、親と仲良くするにこしたことありません。しかし、子どもを操作しようとする親は子どもを所有物と勘違いしていることが多いようです。そして、子どもと是が非でも縦の関係を形作り、維持しようとします。自分を「親様」として子どもに奉らせたいのです。
こんな時、一人前になった子どもは親と正常な関係を結ぶことが困難になります。
「育ててもらった恩を忘れたのか。」というのはこんな縦の関係を形成したい親が用いる一種の恫喝なのです。だから、親に恩を返そうとするとその恫喝に屈したことになります。親に対して愛情を持ちつづけるのはいいのですが、恩は返さないようにしましょう。
私たちが返す相手は自分の子供たちです。子どもがいない人は周囲の社会に貢献するのです。
決して親に直接借りを返してはいけません。それこそ「操作する親」の思うつぼです。だって私たちは育ててもらう中で十分に喜びも感じてもらっているのですから、フィフティーフィフティーです。
そして、自分の子供たちに自分のできる範囲で援助します。決して子供たちに「金を出すのは俺だから俺の考える通りに生きろ」とか「借りを返せ」とは言わないよう(そういう素振りを見せるのも厳禁です)にしましょう。この世で一番卑怯な人間になります。