アドラー心理学を学ぶ 勇気づけのページ 福岡 熊本 共依存・アダルトチルドレンの克服

 

 
 
 
 

人間のとらえ方:全体論

1 個人(インディヴィデュアル)心理学 

 アドラー心理学のことを別名「個人心理学」と言います。それは人間の理解の仕方が他の心理学と随分違うからです。(最近は同じように捉える心理学も増えてきましたが、アドラーの当時はものすごく違っ ていたのです。) 

 ドイツ語の「個人」という単語には「分割しがたい」「ひとまとまりの」という意味が含まれているのだそうです。人間を「ひとまとまり」としてとらえる心理学なのです。indevidual psychology といいます。(「indevidual」 =分割できない、ひとかたまりの)

 


2 物質主義的一元論 

  皆さんは一人の人間を操縦しているのは何だと思いますか?肉体と答える人は少ないでしょう。 

 こころ?こころはどこにありますか?脳味噌? だったら、人間を操縦しているのは脳味噌ですか? 

 脳味噌は肉体の一部だから、われわれは肉体の 一部に操縦されている?  

 



3  精神世界主義的一元論(私 の造語です) 

 いやいや違うぞ。こころは脳味噌だけにはない し、こころ(心)よりもっと重要な魂というものがあるんだ。

この魂が人間のすべてを操縦している。と主張する人もいるかも知れません。人間は神によって動かされていると主張する人もいるかも。 

 



4 多元論 

  そうじゃなくて、肉体には大脳、小脳、間脳、すい臓、性器など様々な部分があるし、精神にも記憶、理性、意欲、感情本能などさまざまな部分があって、それ ら一つ一つが独自に働いて、相互に影響を与え合っているんだ、その葛藤の結果が行動や症状として出るんだと主張する人もいるでしょう。

 

 あるいは、人間の精神には「超自我」「エス」「自我」という各機能があって、葛藤しあってい る。「エス」(「イド」ともいう)の本能的な衝動のつきあげを、「超自我」からの「こうありなさい」という倫理的指令を受けた「自我」が防衛しようとし て、様々なメカニズムが働く。「抑圧」したり、「合理化」したり、「同一視」したり、「投影」したり、「反動形成」したり、「逃避」したり、「置き換え」 たり、「補償」したり、「昇華」したりすることで、「自我」は精神の中の様々な機能の葛藤を乗り越えようとする。と主張する人もいるでしょう。(多元論) 

 



5 全体論 

  アドラー心理学では、人間のある一部が他の部分を操縦している、あるいは部分と部分、別々の機能と機能 が独自に働て、相互に関係・影響し合って、葛藤の結果として行動や症状が現れる
というような考え方をとりません。

ひとりの人間は全体として「個人」を形成していて、その人間に関わるあらゆる現象は部分の葛藤の結果として出現したのではなくて、全体である「個人」の決定の表出に過ぎないと考えます(全体論)。
 

 



6 全体論というのは 

 一元論も多元論もとらずに全体論をとるのです。

部分部分が勝手に働いて、その葛藤の結果で行動しているのではなくて、オーケストラのシンフォニーのように、全体として初めて「個人」という意味を持 つという考え方です。

バイオリンの音はそれだけでは意味を持っていませんよね。バイオリンの音を含めた全体のシンフォニーが意味を持つわけです。全体の中のある役割としてバイオリンの音が存在するわけです。(「ホリスティック」って知っているでしょ?最近有名になってきましたが、アドラーは20世紀初頭に「ホリスティック」な人間存在を主張していたのです。)

 

 ある記憶もその人にとって何らかの役割があるから記憶しているのです。(必要ない記憶は忘れるのです。)
ある感情も、その人にとって役割があるから出てくるのです。
神経症的な症状も、その人にとって 何らかの役割があるから出てくるのです。
理性的な考えも同じように「個人」の道具です。
性欲だって道具です。
その人のあらゆる現象が「個人」が使う道具に 過ぎない。「個人」の決定の表出に過ぎない、と考えるのです。
 

 



7 あらゆるものが個人につくり出されたもの 

 あらゆる行動、反応が、感情すらもその「個人」(統覚)の一つの表出に過ぎなくて、「個人」の目的に沿って作り出され たものと解釈します。 

  たとえばこういうことです。あまりにもわがままで周囲の人に迷惑をかける心無い人のある言葉に僕が怒ったとします。それは、僕が「その人の言葉が許せな い。」「何とかしてあんな言葉を言わせないようにしたい。」と支配的な目的を持って、怒りを一つの道具として作り使ったと解釈するのです。

わたしたちは、感情によって動かされているのではなくて、様々な葛藤の結果しようがなく行動しているのでなくて(そんな決定権のない存在ではなくて)、 自分で決定して行動しているのです。自分の行動(例えば、感情的暴発とか嗜癖とか神経症的症状とか、脅迫的思考とか脅迫的行動とか)にたいして「自分では どうしようもない」と感じてしまうのは、自分ではどうしようもないと感じた方が自分にとって都合がいいからです。だって、ほとんどの人は「自分がそんな行 動を選択している」と思うときついでしょ?
 

 どんな感情も僕という個人の目的に沿って使われた僕の道具に過ぎないのです。感情が悪いということではありません。道具ですから使っても使わなくても良いのです。どんな感情も使ったほうが うまくいくのならば使ったほうが良いし、もっと良い方法があれば使わないでその他の方法を使うといいのです。 



  ですから、登校拒否もその子が教師(あるいは学校という組織)に復讐するために登校拒否という手段を使っているのかも しれないし、あるいは父親に抵抗するために登校拒否しているかもしれないし、誰かにかまってもらうために登校拒否しているかもしれないと解釈するのです。 (実際にどうかということは個人によって違います。) 



 したがって、アドラー心理学のカウンセリングでは、 登校拒否の目的を確認した後、「なるほど、あの先生に負けたくないんだね。」「でも、学校にいかないでいると確かにあの先生は困るけど君も勉強できなくて 困っちゃう。」「君が困らないで、君が楽しくなるようなことを考えない?」

あるいは、「勝ち負けにこだわっていてもつまんないから、もうやめようよ。」「それよりも、自分の未来を考えようよ。」というふうに進みます。



  アドラーは次のように言っています。 
「個人心理学は、個人の生を全体として見ようとし、単 一の反応、運動、刺激のそれぞれを、個人の生に対する態度の明確に表された部分と見なしています。」(「生きることの科学」岸見一郎訳より)

だから、その人の決定は、その人の行動を見るとわかります。その人の行動が、その人の出した答えなのです。 



※参照させていただいた本
「現代アドラー心理学」マナスター/コルシーニ著 前田憲一/高尾利数訳
「人生の意味の心理学」アルフレッド・アドラー著 高尾利数訳
「人間知の心理学」アルフレッド・アドラー著 高尾利数訳
「個人心理学講義生きることの科学」 アルフレッド・アドラー著  岸見一郎訳  一光社
「アドラー心理学の基礎」 ルドルフ・ドライカース著  宮野栄訳 一光社


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