アドラーのことば 私はアドレリアン
アドラーの言葉
ある人がどれほど喜んで人を助けたり、促進させたり、喜ばせたりする
かを調べてみれば、その人の共同体感覚がどのくらいあるかを見ることが容易になる。
他者に喜びをもたらすというこの能力は、その人が姿を見せただけで、他よりも大きな
利益を得たと人々は感じるだろう。(アドラー 人間知の心理学)
※共同体感覚、これこそがアドラー心理学の神髄なのです。(ひろなか)
私ひろなか
は、アドレリ
アンです。
アドレリアンというのは、アドラーが創始した個人心理学を生活の一部として実践している心理学徒のことです。
フロイト派の学徒はフロイディアン、ユング派の学徒はユンギアンと言います。私たちはアドラー心理学=個人心理学の学徒なのでアドレリアンです。まあ、
個人名を学問の名称につけているところが学問としてはまだ未成熟だという人もいます。そうかもしれません。
ア
ドラー心理学はちょっと変わった心理学です。ある科学的仮説をその理
論の中心に持ってきているからです。アドラーは神経症の患者の治療から活動を初め
て、子どもたちの治療やその子どもたちに関わる親や教師たちの再教育に関わる中で、「人間というものの幸福」を追求するようになりました。たぶん、他の心
理学では「幸福」なんてアバウトなものは扱わないはずです。でもアドラー心理学では真っ正面から扱うのです。
人間はどんなときに幸福になるのでしょうか?逆に言えば、どんなときに不幸になるのでしょうか?その不幸の条件の反対が幸福なはずです。
宝くじが当たって大金が転がり込んでくれば幸福でしょうか?
アドラー心理学はノーと言います。大金が転がり込んで来ても幸福にはなりません。お金をたくさん持っているのに不幸な人というのは世の中にはたくさんい
ます。宝くじが当たって大金が転がり込んできたおかげで逆に不幸になったという人もいます。
何にもしない暮らせていけたら幸福でしょうか?
アドラー心理学はこれにもノーと言います。何にもしないでも暮らせていけるって、一見良さそうでも、実はとてもつまらないことなのです。ひきこもりの人
のことを考えてください。ひきこもりの人は何にもしないでも暮らせていけていますよね。彼らが幸せだと思いますか?アドラー心理学をやったことがない人で
も、幸せだとは思わないでしょう。何にもしないということは人間にとって幸せではないのです。
ではどんなときに幸せなのでしょうか?アドラー
心理学ではどんな状態を
幸せだと仮説を立てているのでしょうか?
幸せな人はまず、自分のことが好きですよね。もっと伸ばそうとは思っていますが、基本的に自分に満足しています。そして、基本的に他の人間を信頼してい
ます。社会に対しても基本的な信頼感を持っています。もちろん、社会をより良く改革しようという意欲は持っていますけどね。だいたい、他の人間や社会を信
頼していない人が自分のことを本当に好きなはずがないのです。
よく、周囲の人をこき下ろしてばかりいる人がいますが、あれは自分に実は満足していないのです。不安でたまらないのです。それで、それを補うために必死
で周囲の人や社会のあら探しをしているのです。自分以外をこき下ろすことで自分を高めたつもりになっているのです。他人の悪口や社会への攻撃ばかりしてい
る人がいたら、「ああ、この人は自分に自信がなくて不安で不安でたまらないのだな。」と思ってください。
ですから、アドラー心理学では、自分のことが好きで、他人のことを信頼していて、社会への基本的な信頼感がある時、人は幸せであると思っています。
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